【千葉】関東城巡り 松戸 小金城(大谷口城)

流山駅

こんにちは、ひなたです。

千葉県松戸市にある城跡、小金城(大谷口城(おおやぐちじょう))に行ってきました。

アクセス

小金城址駅から徒歩約15分。

小金城(大谷口城)

大谷口歴史公園として整備されています。
大谷口歴史公園

小金城、別称大谷口城(おおやぐちじょう)。
小金城

金杉口跡(かねすぎぐちあと)

ここは金杉口と呼ばれる小金城の虎口(こぐち(出入口)の一つです。
小金城には大手口(東)、達磨(だるま)口(北東)、金杉口(北)、大谷口(南)の四つの虎口があったとされています。
西側の低地から場内へ入ると正面と南側は高い急斜面にあたり北へ進むことになります。
ここには三段(推定)の階段を持ち、最上段には門柱を立てたと思われる土壇(どだん)(砂を突き固めた、径約60センチ~1メートル、高さ約10センチ)が四ヵ所見つかりましたが、その構造までは解りません。
尾久に広がる広場は斜面部に土を盛って人工的に造った広場です。
さらに奥へ進むと空堀があります。
堀の外側を進んで行き、大勝院の裏手から場内へ入ったものと推定されています。
金杉口跡

金杉口跡

障子堀

中世城郭の特徴は、自然地形を巧みに利用していることにありますが、金杉口では、さらに自然の斜面を削って急傾斜とし、その下部に幅4メートル以上、深さ約2.5メートルの空堀が造られています。
この空堀は、虎口から約20メートル程の地点から掘られており、途中一ヶ所に高さ2メートルの間仕切り(障子)が造られて、堀底を侵入してきた敵をその壁で遮る構造となっています。
このような構造のものを「障子堀」と呼んでいます。
また、この空堀は、砂地を掘り下げて造られているため底、壁共に砂質で、非常に水捌けは良くなっています。
障子堀

畝堀(うねほり)

ここで発見された堀は幅7メートル、深さ約3めーつr(現地表面から)と規模では普通です。
しかし、堀底に断面が蒲鉾型(かまぼこがた)の畝(うね)(高さ約90センチ)が堀の方向と直行する向きに連続して造られた全国的にも非常に珍しい構造をしています。
この施設の利点は、侵入した敵が堀底の小溝に足をとられ、横への移動がしずらくなり、その敵を狙い討てることだと云われています。
特にこの畝堀は、畝部分が粘土層を堀り込んでおり、非常に滑りやすく、効果的となっています。
堀底に加工を施した堀は、関東地方では小田原北条氏の軍事的勢力下にあった城に多く見られるところから小金城(高城氏)の戦国時代末の状況が古文書だけでなく、城の施設からも伺うことができそうです。
畝堀

土塁

土塁とは、土を盛り上げて造った土手状の防御施設のことで通常は堀を掘った土を盛り上げて造ります。
金杉口では西側から北側にかけてL字状に見られます。
その構造は、城の内側を約50センチ掘り下げ、大地の縁辺部に土塁の底になる部分を幅約3メートルの帯状に残します。
その上に粘土を盛り上げて高さ約1.5メートルの土塁としています。
土塁としては低くみえますが、外側の空堀の構造から見て、敵の侵入を防ぐと云うよりも、自分の身を隠す程度の機能であったろうと思われます。
小金城では、他に粘土や赤土(関東ローム)をそれぞれ約10センチ位の厚さで突き固め、それを交互に高さ2メートル以上に積み上げた土塁も確認されています。
土塁
*案内板より

やや広めの公園です。
公園

公園

公園










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